にじ*じゅう

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【聲の形】フィクションで感動ポルノを描くこと自体は悪いことではない

雑記・その他

ちなみに私は『聲の形』を見ていないwww

原作も読んでないwww

なんとなく概要は把握してるけど。

この議論を読んで思ったことを書くよ( ^ω^ )

togetter.com

 

 

感動ポルノの定義

ます、感動ポルノとは何なのか?

感動ポルノ - Wikipedia

ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している[2][3]。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、ポジティブな性格や努力する(=障害があってもそれに耐えて頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされることがある[4]。

だそうな。

 

そもそも○○ポルノという言い方には、「悪いものにはまる」という意味が含まれているみたいね。

http://mainichi.jp/articles/20160909/ddm/003/070/137000c

感動ポルノ以外に、フードポルノやディザスターポルノなんて言葉もあるらしい。

 

聲の形と24時間テレビの違い

感動ポルノという言葉は24時間テレビ批判にもよく使われているので、この2つは果たして同じなのか考えてみたけど……

やっぱりフィクションとノンフィクションじゃ違うよね。

なにしろノンフィクションていうのは現実に起きているわけだから。

そしてフィクションは、「言うても作り話ですやんwww」で済ますこともできるからね。

ノンフィクションでも、障害者が番組の趣旨を理解して出演を快諾しているのなら問題ないと思うけど。

 

フィクションで感動ポルノを描くことは悪いことなのか?

悪くはないと言いたい!

障害者を扱った過去の名作とか、けっこうたくさんあると思うけど、それらもだめなのかと。

『アルジャーノンに花束を』とか。

 

そもそもフィクション(特に娯楽作品)の登場人物っていうのは、障害者か健常者、あるいは女か男か、何なら人間か動物か、に関わらず視聴者に何かしらの感動を与える(消費させる)ための存在だよね。

ここでいう感動は、泣き、笑い、萌え等々のあらゆる気持ちの高まりのことね(*´ω`*)

 

感動ポルノの定義の障害者を別のものに変えた場合、どうだろう。

例えば、余命わずかのがん患者だったり。

あるいは超絶不細工(という設定)な人だったり。(野ブタをプロデュースとか?)

オタクでもありかなwww電車男はそういう作品だよね。

まぁ、世間からオタクは清く正しい姿を求められてはいないけどwww

フィクション(特に娯楽作品)と感動ポルノ(的な構造)は切っても切れないものだと思うよ。

 

でも、このことは『聲の形』を批判している人たちも分かってるっぽいんだよねぇ。

togetterにまとめられた意見を読むと、ボロクソに批判はしていても、上映を中止しろ!だとか、こういう作品を作るな!とか、そういう意見はないんだよね。

批判することと作らせないことは、全然違うからね。

みんな創作に対する理解は、けっこう高い気がするわ( ^ω^ )

アニオタ的には安心するwww

 

 

今回の騒動(?)は、24時間テレビ(とバリバラ)の件がタイミング的にみんなの記憶に残っていたことと、『聲の形』が障害者といじめという難題を2つ同時に扱っていたから、よりセンセーショナルな話題になったんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?

 

 

まぁ、お前はさっさと映画観てこい!って話だよねwww

さーせん(´・ω:;.:...

 

時間がなかなかないねん……